反抗期に反抗して反抗しない
英語で、「Selfish」って単語がありますよね。セルフィッシュ。「わがままな」とか「自分勝手な」とかそういう意味。
つい最近まで、なんで「売り物の魚」がわがままなんだろう、とセルフィッシュという言葉を聞く度ぼんやり思ってましたが、綴りを見るとセルフ(Self)でSelfishだったんですね。納得。Sell-Fishではなかったわけか。魚つながりで、ちょっと「フィッシュストーリー」を思い出した。
それと、「熊野古道」を「熊の子道」って長らく思っておりました。
うん…手の施しようのないアホだった…
「蒸し暑い」を、「虫暑い」と思っていた漫画家さんもおられるそうな(ついでに道連れにします)。
さて、先日のこと、
テレビをつけてみたら、脳の話をしていました。番組の終わりの方だったので深くは知り得ませんでしたが、気になる話題が取り上げられていました。
ちゃんと番組を見ていたわけではないので、話半分、眉に唾をつけながら聞いてもらえたらと思います。
思春期と反抗期の関係
思春期といえば、大抵10代の頃に当たると言えると思います。
反抗期も、例外もあるでしょうが同じ頃に当たると言えると思います。
その番組によると、この二つはどうやら関係しているらしい。
反抗期の特徴の一つには、「リスクをあまり恐れない」ということがあるという。
自分が起こす行動に対して、リスクへの抑制が効きにくい。
こんなことを言うと相手が怒るかもしれないからやめておこうとか、人に迷惑がかかるからやめておこうとか、そういった感情よりも自分中心に考えてしまう。まさにセルフィッシュ状態ですね。
校舎の窓ガラスを壊してまわったり、盗んだバイクで走りだしたりする人もいるらしい。
また、あまりリスクを顧みないということは、戦闘にも向いています。別の部族との縄張り争いが起こると若者が先頭に立って争います。兵士になる適齢期なんだとか(体力もあるのでそうならざるを得ない)。
そんな、思春期や反抗期にリスクを犯す行動を取ってしまうということは、人(ホモ・サピエンス)としては、実はとても重要なことだったのです。
まず、脳の話からしますが、リスクを抑制するための機能は脳の前側にあり、人の脳の発達は後ろ側から前側にかけて進みます。脳前側のリスクを抑制するための機能がある部分は、だいたい25歳前後に発達します。
つまり、25歳ぐらいになるまでは、脳はリスクをあまり恐れない仕組みになっているのです。反抗期は脳に組み込まれている人間らしい行動であるとも言えるわけです。
リスクをあまり恐れないからこそ、人(ホモ・サピエンス)は大陸を移動することができ、大きく繁栄できたと言えます。ネアンデルタール人が絶滅したのは、思春期・反抗期が無かったのもひとつの要因と言われています。求愛してもそっぽ向かれるかも…なんて考えてリスクを犯さないようにしていると子孫繁栄にもつながりませんしね(繁栄しない道を選ぶのも選択の一つですが)。
リスクを恐れない、思春期と反抗期をセットで考えると分かりやすいかも知れないというこれまでの話、ほんまかいなと思われるかもしれませんが、一つの仮説としては気になりました。
リスクを恐れず失敗することも大いにあります。若気の至りなんて言葉もあるぐらいですし。ギリシャ神話の、イカロスのロウで作った翼の話なんかも思い出せます。
10代の子が反抗期を迎え、親に反抗したり、学校に反抗したりする。リスクのある行動もしてしまう。
これも全部、人の脳に組み込まれたプログラム。反抗期に対する見方が変わりました。
あの子には反抗期がなかった!?
反抗期だからこそ、それに反抗して反抗していなかった。それこそ真の反抗!
なんてことはないでしょうけど。
成果主義アレルギー
先日、組織運営についての研修会に行ってきました。
印象に残った話はいくつかあったのですが、今回はそのうちの一つをメモしておきたいと思います。残りの話はまたいずれ。
成果主義は失敗だった!?
成果主義の功罪はあれこれあると思います。
成果主義だと頑張れる人、苦手な人、成果主義が向いている職種、向いていない職種もあると思います。
私はこれまでの経験から、「if_then方式」「信賞必罰方式」に代表されるような成果主義はあまり好みません。かと言って、年功序列制度がベストであるとも思いません。
多くの場合において承認欲求が行動の動機づけになるということは理解していますので、やはり、成果主義も悪くないのかなと思うこともあります。
それでも、成果主義と言われるとなにかピンとこないものがあります。
すみません。話が堂々巡りになってきました。
とにかく、「結果が全て」というのが嫌いなのです。そう、「プロセス重視の成果主義」というあやふやなものが自分には合っているような……
閑話休題。
年功序列から成果主義へ。これは、バブル経済崩壊後、急速に広まったと言われています。右肩上がりの経済が終息を迎えたからという認識が一般的となっています。
その研修会の中で、『それでも成果主義は止められない』というテーマで掲載された、2009年の日経ビジネスオンラインの記事が紹介されていました。
その記事によると、
「勤務先が成果主義型の制度を取っている」と答えた944人を対象に、勤務先の成果主義の成否を聞いたところ、「失敗だった」とする回答は68.5%に達し、「成功だった」という回答(31.0%)を大きく引き離した。
多くの企業が採用している成果主義。それを取り入れて成功だったと感じている人は31.0%。
だから、成果主義は日本には馴染まないのだという話ではなく、その運用方法がマズい企業が多いのではいかということも言われています。
「量的な達成」と「質的な達成」
成果主義は結果が全て。「量的な達成」がなされたかどうかということが、まず評価のポイントになります。
一方、「質的な達成」とは、量的には達成できなかった場合でも、達成に向けて取り組んだことで、それに付随する他の業務が改善されたり、チームとしての結束力が強まったり、知識が向上したりといった、量では測れない場合が多い「質」の向上のことを言います。
結果に重点を置いた成果主義だと、このような質的な達成が見落とされがちになるのではないでしょうか。
目標値を達成出来たとなると、とたんに気が抜けることってありませんか?
達成した、やれやれ。もう十分頑張った。あとはゆっくりさせて。。というように。
短期間の目先の利益が評価対象になるからです。
「量的な達成」と「質的な達成」は、「定量目標」と「定性目標」の関係にも似ているように思います。私は、定性目標の方に重点を置きたいと常々思っているのでよけいに成果主義にアレルギーを感じるのかもしれません。
どちらが良い、悪いではないので、バランスが崩れないように気をつけたいです。
ここで、あらためて「成果主義」を検索してみると、
企業において営業などの成果を重視する考え方。人件費削減を行い易い為に導入を試みようと言う企業は少なくはない。
成果を上げるだけの権限をもった人材に適用してはじめて効果があるものであり、一般社員に適用するとモチベーションのダウンにしかならない可能性も高い。本来は成果そのものだけでなく、そこへ至るプロセスも評価対象とするのが前提となっているが、この部分があまり評価されないケースが多く課題となる場合も多い。
業績不振になった場合に社員の怠慢にあると責任転嫁されたり、業績をあげればあげるほど失敗時のリスクは高まったり、マイナス面も小さくはない。
たしかに、経営者が自分たちにとって都合がいい成果主義を取り入れようと考えるのもうなずけます。
そろそろ疲れてきたので、最後に私が大好きなこのセリフで終わりにしたいと思います。
「そうだな…わたしは『結果』だけを求めてはいない」
「『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない」「やる気も次第に失せていく」
「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている」「向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?」「向かっているわけだからな…違うかい?」
真実に向かおうとする意志 (しんじつにむかおうとするいし)とは【ピクシブ百科事典】より
ありがとうございました。
紀州加太方面を探索
和歌山市は加太方面を探索してきました。
加太(かだ)ってどこ?っていう人のために分かりやすく地図で言うと、
このあたり。大阪府岬町の南側。もう少し拡大すると、
左にあるのが淡路島。
和歌山市加太と淡路島の間に友ヶ島水道があり、そこに浮かぶ島々が友ヶ島と呼ばれています。観光地化されており船で渡ることもできます。近々行きたいなぁとたくらんでおり、今回の探索の目的は、友ヶ島行きの船についての下見でもあります。
いざ加太へ!
5/8(月)出発は午前10時過ぎ。125ccのバイクでの一人ツーリング。1時間ぐらいで加太に到着予定。
▲深日(ふけ)港で休憩
のんびりとサビキ釣りをしている親子がいました。イワシが釣れているようです。
奥の灯台付近も釣り人はまばら。結構穴場の釣りスポットかも。
▲岬町の道の駅・とっとパーク
少しわかりにくいですが、釣り桟橋です。こちらは平日にもかかわらず大盛況のようです。釣り人だらけでした。
加太に到着ッ!
芝生の公園があったのでそこでも休憩。
▲周辺の案内看板
近くに砲台跡があるという情報を入手。予定を変更し、そちらに向かうことに。
加太の砲台跡
▲山をひたすら登る
バイクを停め、山道を歩きます。虫が耳元をブンブンブンブン。
▲砲台跡の案内板
▲▼砲台施設
階段下に部屋がいくつも並んでいます。
その部屋に得体の知れないモノがいたらこわいな~と思うと階段を降りる勇気が持てず。
▲由良要塞の歴史
案内板にあるように、戦時中、この友ヶ島水道は敵の侵入経路になり得ます。そこで、淡路島・友ヶ島・加太で守っていたということですね。
三重県鳥羽の離島を散策した時も、監的哨がいくつもありました。
▲砲台付近からの景色
友ヶ島の島々が見渡せます。奥にうっすら見えるのが淡路島。
▲砲台施設の階段を降りました
山を降りる際、登ってきた人がいて砲台施設の階段を降りて行きました。心強い。今だとばかりに便乗して階段を降りてみました。
▲室内の様子
暗くて、ただただ不気味でした。
▲▼弾薬庫跡
少し離れたところにある、加太休暇村には弾薬庫がありました。
人形供養の淡島(嶋)神社
そして、友ヶ島行きの船着場の下見を済ませた後、すぐそばにある淡島神社に立ち寄りました。
▲淡島神社本殿
▲▼供養された人形
本殿の周りには、ところ狭しと人形が並べられております。客寄せの展示物としても利用されているのかなぁと感じました。
本殿内にも人形が並べられていましたが、本殿内のものはさすがにアレなんでしょうか。(髪が伸びる人形があるとかないとか…)
▲記念に朱印もいただきました
特徴として人形の判子が押されています。
道の駅・みさき
帰路、この春にオープンしたばかりの「道の駅みさき」に寄ってみました。
ここの名物は「生しらす丼」のようで、のぼりが何本も立っていました。
その食堂に、テレビカメラが入っていました。
よく見ると、関西ではお馴染み!?の、「やのぱん」さんがロケをしていました。
▲道の駅スタンプ
自宅周辺にも、まだ訪れたことがないおもしろスポットって結構あるもんですね。逆に地元民だから関心が薄いということもあるのかも知れません。
連休はなかなか取れないので、近場であまり注目していなかったところも開拓していきたいと思います。
『スーパーチキン方式』とは?【TED動画紹介】
「スーパーチキン方式」という言葉、あまり耳慣れないと思います。
組織作りなんかで使われる言葉らしい。使ったことも聞いたこともなかったけれど。
日本語TED新着: マーガレット・ヘファーナン: 職場の順位制をやめよう
この動画を見て知りました。
生産性を高めるにはどうするかという実験
生産性を高めるためどうすればいいか、ニワトリを使った実験が行われました。
ニワトリに卵を産ませるにあたり、よく卵を産むニワトリは生産性が高いと言えましょう。それなら、よく卵を産むニワトリばかり集めて群れを作り、世代交代が繰り返されていくと、普通の群れのニワトリたちよりもはるかに生産性があがるのではないか、スーパーチキン軍団が出来上がるのではないか?という実験が行われました。
それは、どのような実験だったか。
まず、2つの群れを作ります。
1つ目は普通の群れ。
そして、2つ目は生産性が高いエリートニワトリだけを集め世代交代するごとにさらにエリートを選抜していって作った群れ。
それぞれを孤立させ、6世代後、どのように生産性が上がったか、下がったかを検証します。
結果発表!
先に結論を言うと、普通の群れの方が生産性が高くなっていたということです。
結果について、動画より引用します。
6世代後、結果はどうだったでしょうか?
1つ目の普通のグループは、とてもよくやっていました。全てのニワトリが丸々とし、羽も生え揃っていました。そして、産卵数も劇的に増加しました。
2つ目のグループはどうかというと、3羽を残して全滅でした。他のニワトリをつついて殺したからです(笑)。個々で多産なニワトリが成功した理由は、他のニワトリの生産性を抑圧したために他ならなかったのです。
当たり前ですが、人間とニワトリは違います。ライバルを殺したりはしません。
しかし、周りがライバルだらけという環境におかれると、そのライバルを蹴落としたり、いじめて失落させたり、貶めたりといった話は聞いたことがあるのではないでしょうか。出世競争という状態になりがちで、助け合うことを忘れてしまうことも起こり得ます。
職場で何かのプロジェクトが発足した時など、その題目に適したエリート集団が結成されます。特に疑問もなくそれが当たり前に行われてきました。
もちろん、そのやり方が間違っているとは限りませんし、実際に多くの成功を納めてきたことでしょう。しかし、それでも行き詰まった時の新たな着眼点として、スーパーチキン方式を止めてみるのも一つの方策かも知れません。はじめから結成条件の違う集団を複数作ってみるのもいいかもしれません。
スーパーチキン方式ではない新たな組織づくり、また、それにはどういう環境がベストか、15分の動画で色々と紹介されています。
モノを売る時代から、コトを売る時代に変わってきているという話を聞いたことがありますが、従来のやり方ではうまく行かなくなってきたケースが散見される時世。各々の現場で、正解は一つではないということを改めて気付かされました。
以上、おすすめ動画の紹介でした。
<鶏に関する繁殖研究>
リクルートワークス研究所「Works No.93 p.28」でも紹介されています
きらきらポールは主婦の友
さてみなさん、
おそらく関西の方、しかもアラフォーより上の世代にしか通じないかもしれませんが、私が子どもの頃によく目や耳にした、きらきらポールという商品のCMについてです。
キンキン キラキラ キラキラポール
という歌が流れるCMです。
きらきらポールとは、モリ工業のステンレス製の物干し竿などのブランド名です。
なぜ、突然このCMについての投稿をしようかと思ったかというと、もうすっかり忘れていたCMなのですが、最近ふと、このメロディが頭の中に流れました。
そんなCMあったなあ。懐かしいなあ。と余韻に浸っていたんですが、今更になってこのCMのセンスに気付かされたからです。
キンキン キラキラ キラキラポール
まあ、無理もありません。このCMをテレビやラジオで聞いていた頃は私もまだ小学生とかその頃。(大人になってからは聞いた記憶がないけれど、今もCMやってるのかどうか)
子ども心に、なにがどう「主婦の友」なのかなあ、とぼんやり考えていた記憶があります。
「きらきらのポール」それが「主婦の友」であると。
このセンス。
YouTubeに30秒バージョンのCM動画がありました。
▲「キラキラポールは主婦の友」ではなく、このCMでは「キラキラポールはステンレス」と歌われています。
主婦の友バージョンもありました!
こちらのCMでは、花紀京さんと岡八郎さんが出演されています。
映像まではもうすっかり忘れていましたが、これらの動画を見て、やはりこのメタファーのセンスに脱帽です。
「おたくの竿はさびてませんか」
「余計なお世話だ」
ほのぼのします。
竿の宣伝をするとなるとやはりこうなるのか。
このメタファーに気づかなくてもインパクトがあるCMなので宣伝効果は抜群だったでしょう。おそらく、関西のアラフォー以上の多くの方はこの歌を歌えると思いますし。
あ~おもしろかった。
『ひびわれ壺』の話~無用の用を知る
世に広まったインドの民話『ひびわれ壺』の話をご存知でしょうか。
このお話をブログで紹介されている方も多くおられるようです。
それぐらい有名な話なのかもしれませんが、私は最近知りました。
私の好きな言葉「無用の用」。そんなエッセンスが詰まったお話です。
「無用の用」という故事は中国の書物『老子』から生まれました。
役に立たないと思われているものが、役に立つ。
人も物も、見方や立場を変えれば役に立たないものはないという考えです。
私も以前、このような投稿を致しました。
では、もったいぶらずに早速、『ひびわれ壺』の話をご紹介いたします。
読みやすいように、改行や()で補足を入れています。
インドのある水汲み人足(人夫)は2つの壺を持っていました。天秤棒の端にそれぞれの壺をさげ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。
その壺の一つにはひびが入っています。もう一つの完璧な壺が、小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに、ひび割れ壺は人足が水をいっぱいに入れてくれても、ご主人様の家に着くころには半分になっているのです。
完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼がつくられたその本来の目的をいつも達成することができたから。ひび割れ壺はいつも自分を恥じていました。なぜなら、彼がつくれたその本来の目的を、彼は半分しか達成することができなかったから。
2年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」
「なぜそんなふうに思うの?」
水汲み人足はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人の家まで水を半分しか運べなかった。水がもれてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力に報われることがない。私はそれがつらいんだ。」
壺はいいました。
水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花をみてごらん。」
天秤棒にぶらさげれて丘を登っていくとき、ひび割れ壺はお日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に気がつきました。
花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道端の花に気づいたかい?花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?僕は君から落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。そして、君は毎日、僕が小川から帰る途中水をまいてくれた。この2年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることができなかったんだよ。」(作者不詳、菅原 裕子さん訳)
http://www2.city.fuji.shizuoka.jp/~p-fuji2/cgi/sfs6_diary/sfs6_diary/609_1.pdfより
「無用の用」を知る。まさにそんなお話です。
そればかりか、ここに出てくる人足(人夫)の優しさにも心打たれます。
この話についてあれこれ感想を述べても野暮かもしれませんが……
完璧な壺のように、一直線に効率よく、本来の目的をいつも達成することができる人もいれば、半分しか達成させられなくても知らず知らずのうちに数字には表すことができない「花」を咲かせられる人もいるのです。
野球で言うと、4番バッターやエースピッチャーばかりのチームなんてあり得ません。ベンチを盛り上げるのが得意な人、グランド整備が得意な人、ボールを磨くのが得意な人、相手チームの分析をするのが得意な人。なにも、打点を稼がなくても、最多勝を取らなくても、あちらこちらに「花」は咲いているのです。
いろんな場所に咲いている、または咲こうとしている「花」を見つけられるような、そんな「ひびわれ壺」だからこそ輝けるものを引き出せるような人間になりたいものです。
本はまだ読んでいないので、近いうちに読みたい。
ルールは守らない、それがルール
暴走族のジレンマについて。
不良って決められたルールからはみ出したかったはずなのに、不良には不良の中のルールみたいなものができてしまうことがありますよね。集団性みたいなものがどうしても出てくる。
暴走族はルールを守らないけど、結局、「信号を守らない」というのがルールになってしまったりする。みんな決められたように信号を無視するんですよ。
信号をキッチリ守っている暴走族がいたら、「こいつらええ根性してるな」って思いますもん。信号を守る暴走族がいたら怖いでー。
不良や暴走族が最も嫌いなものの一つ、それがルール。
ルールは破らねば!
「信号を守らない」というのが彼らのルール。このルールを破るには、安全運転、信号はキッチリ守る。
「未成年のうちからタバコを吸い、酒を飲む」というのが彼らのルール。ルールを破るには、二十歳を超えてからそれらを行う。または、一生タバコも吸わず酒も飲まない。
さらに言えば、不良っぽい格好をしない。暴走族のような格好をしない。改造車にも乗らない。コンビニの駐車場では騒がない。人家に面した所では前向きに駐車する。ゴミは拾う。プールサイドは走らない。ゲームは1日1時間まで。お年玉はお母さんに預ける。時間割は前日に済ませておく。
不良らしい、暴走族らしい事をしない。
信号を守る暴走族。なんて不良なんだ!
https://www.police.pref.osaka.jp/03kotsu/bousouzoku/pdf/chirashi_01.pdf
▼一部拡大。こういうの見たら通報しましょう。