泉州泉南信達のふじまつり2018
大阪泉州は、泉南市信達(しんだち)のふじまつりに行ってきました。
熊野街道沿いの信達宿にある梶本家は、たった1本の野田藤が約4万の花房をつけます。「平成の花咲か爺さん」故梶本氏が一本の鉢植えから30年大事に育てて見事な藤棚になりました。現在はボランティア団体「藤保存会」が藤を守っています
ここは、梶本さんという方の私邸。
私邸を無料開放してくださっているという。
そんなわけで、見に行かせていただきましたが、お伺いした4/28は時期が遅かったようで、花が枯れ落ちてきています。
見頃の時なら紫一色になります。
梶本家の中庭では、民謡(?)の唄と演奏が行われていました。
この唄と演奏が会場全体を包み込んでいて、雰囲気満点ですごいよかったです。
わかりにくい画像ですが、もちつきが行われていました。
つきたてのもちの即売会も行われていたのでせっかくなので買って食べることに。
もちをちぎって丸めているところ。
きなこもち、2つで100円。
今目の前でつかれたてのおもち。おいしい。
こちらは、「やぐらもん」。やぐらの門ということでしょうか。
泉州といえば、「だんじり祭り」が有名ですが、この地域では「やぐら祭り」となります。
この「やぐらもん」に、やぐらの車輪が展示されています。
梶本さん回顧展。他にも写真や詩が展示されていました。
熊野街道沿いということもあって、熊野詣衣装体験もできるようです。
僕が訪れたときは、これを着ている人はいませんでしたが、この衣装を着せてもらうと、観光客からツーショット写真をせがまれて一時だけスター気分になれます。おすすめ。
この道をずっと行けば、聖地熊野です。ここから約215km。
歴史街道探索の旅は続く。
▼関連過去記事
常連になればなるほど、損をする!?
とある大手の電機店に行ったときのこと。
パソコン売り場で商品を眺めていたら、店員さんが寄ってきたのですが、パソコンの説明をしてくれたわけではなく、光回線(プロバイダ)の売り込みをしてきました。そこの電機店の店員ではなく光回線会社のスタッフだったわけです。まあ、よくある話。
ちょっとだけ話を聞くと、その光回線の契約内容はこうでした。
料金は税込みで月々約3,000円。
ただし条件があり、2年契約。
そして、2年目からは2,000円アップの月々約5,000円というものでした。
月々3,000円程度なら安いかなと思いましたが、2年目からは約5,000円。
つまり、2年間支払う総額を24ヶ月で割ると、月々約4,000円ということになります。
用はなかったので、軽くお断りし店を出たのですが、ふと、こんな事を思いました。
あれ?2年間だけだと、月々の支払額平均は約4,000円だけど、3年目以降も使い続けたらどうなる?
安いのは1年目だけで、2年目以降はずっと月々約5,000円。
支払うことになる総額を月数で割るとこうなります。
3年使うと、総額156,000円、月々4,333円
5年使うと、総額276,000円、月々4,600円
10年使うと、総額576,000円、月々4,800円
安さにつられて契約しても、そのまま何年もズルズルと使い続けたら、月々3,000円は安い!と思って契約した意味がどんどん薄れていく。
いや、もともと5,000円が適正価格なんですよ。だから10年使っても今加入すればお得なんですよ。なんて言われても納得できますか?
月々3,000円に釣られて契約したのがバカみたい。と、どうしても思ってしまいます。
最初は2年たったら解約すればいいやって思っていても、契約会社を変える手続きがめんどくさかったり、解約できる期間を見逃してしまったり、解約には工事が必要ですとか言われて、工事?なんか大げさなことするの?だったら、めんどうだし今のままでいいかって思ってしまったりしている人も多いのではないでしょうか(僕もそう)。
使えば使うほどさらに安くなる、というのならよく分かります。
近所のスーパーでも、その店で買えば買うほどポイントが溜まりやすくなるゴールド会員やシルバー会員とかあって常連さんにはメリットがあったりします。
しかし、今回の話のように長いこと使っている常連さんにやさしくない場合もある。
利用者が勝手に、私は長いことこの会社のサービスを使っているからきっとお得な契約内容になっているうんだろう、とさえなんとなく思っているかもしれません。
安いのは1年目だけというサービスがあり、月々の支払い平均額を抑えたいのであれば、やっぱり2年縛りなら2年で解約しておくのがかしこいのでしょうね。
そんなん当たり前やん、何をいまさら、と言われそうですが、言いたかったことは、常連さんに負担させてその儲けた資金で新規顧客を獲得するのかと捉えられても仕方がないやり方がなんか嫌ってことです。
実際計算してみたら、それをより実感できたというお話でした。
おしまい。
「この世界の片隅に」の1シーンより
ようやく観ました。
CSから録画していた「この世界の片隅に」。
今後も何度か観る予定なのですが、とりあえず初めて観た感想を書いてみたいと思います。
といっても、1つのあるシーンについて書きます。
見当違いなことを書いているかもしれませんが、あくまでも個人的な感想です。
少しネタバレを含みますのでご注意を。
あと、まだ観られていない方にはよくわからないと思いますのであしからず。
「何で? そんなん覚悟のうえじゃないんかね? 最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?」 「いまここへまだ五人も居るのに! まだ左手も両足も残っとるのに!」 「うちはこんなん納得出来ん!」
ほぼラストにあたる、日本が降伏し玉音放送を聞いたあとの、すずさんが怒っているシーンについてです。
このセリフを文字通り受け取れば、すずさんは、まだ戦うべき!と言っています。
この映画のレビュー記事をいくつか見てみると、「すずさんはまだ戦いたかったんだなあ、だって、ここにまだ五人も居るとか言ってたし」といった自分が犠牲になることも顧みずこんな事を言うずすずさん勇ましい!といった意見をいくつか見ました。
しかし、このすずさんの怒りのセリフはストレートに文字通り受け取っていいのでしょうか。
お上が勝手に始めた戦争に自分たち国民は巻き込まれた。
そして、この戦争で大切な人を失った、自分の右手(絵)も失った。町も破壊された。
このまま戦争を続けてもきっと日本は負ける(食料の配給もどんどん減り、飽きるほどの空襲警報。きっと戦果は芳しくないはず)。
そんな状況で、まだ戦争を続けるべきと思うでしょうか。これ以上、自分の大切なものを失うかもしれないことに抵抗はないのでしょうか。(そのように教育されている可能性もありますが)
僕が感じたこのセリフの言いたいことというのは、勝手に戦争を始めて自分たち国民を巻き込んで犠牲者を出させておいて、お上の連中が犠牲になりそうになったら降伏するなんて、ほんと勝手すぎる。ふざけるな。といったお上に対する不信感から来たものではないでしょうか。当時、玉音放送を聞いてそのように感じた方もおられたのではないでしょうか。私たちの覚悟はなんだったのか、と。
もちろんこれ以上の犠牲者は出てほしくないけれど、なんか腑に落ちないといった思いが込められていたような気がしました。
べつにこのシーンがこの映画の全てではないのですが、僕はそんなことを思った次第です。あと何度か観て色々感じたいと思います。
おしまい。
「従業員は家族」なんでしょ?
飲食業は大手ファミレスを中心に深夜営業をやめる動きも出てきたが、投稿者によるとラーメン屋は「締めのラーメン」需要を狙って朝まで営業している店が多いという。深夜早朝まで飲んでいた客を待ち、朝は次の仕込みに入るという終わりのない営業状態が続く。
既に別店舗の店長が倒れ、休職の後クビになったとも書く。とにかく24時間営業、朝まで営業を何とかしてくれと悲痛な叫びをあげていた。
遅くまでやっているラーメン屋、飲食に限らずあらゆる店舗や会社。
交代制で運営している会社もある一方で、人件費カットという理由で長時間労働をさせられている人々が大勢いる。
ところが、経営者は「従業員は家族です」なんて言葉を人気取りのために口にしたりしがち。
経営者よ、お前は自分の子どもや孫に深夜労働や長時間労働をさせるのか?
もし、子どもや孫がそんな会社に就職しようとすると、体に悪いからやめとけって全力で阻止するんじゃないのか?
それと、「だったら辞めろ」と会社側に立ってこの店長を非難する人たちがいるって事にも疑問。
この店長が、辞めれば済む話じゃない。もちろん辞めてもっといいところに入社したほうがいい。しかし、辞めても次の犠牲者が出るだけ。それが僕だったり僕の子どもだったりするかもしれない。
社会のためにも、どブラックな会社は経営方針を変えて生まれ変わるか潰れてもらいたい。
以上。
喫煙者だけのタバコ休憩をやめて、全員でリフレッシュ休憩
非喫煙者が、
喫煙者だけタバコ休憩取れるなんてズルい!私らは休憩もしないで仕事しているのに!タバコ休憩なんて認めない!
という感情を持つのは分かりますが、それはみんな辛いんだからみんなで不幸になりましょう、と言っているようにも聞こえる。喫煙者も非喫煙者も、スマホいじりたい人も、おやつを食べたい人も、眠たい人も、勤務中にちょっとぐらい休憩したらええやん、ってことで記事にあるこういうやりかたが人に優しい。
解決策として休憩を平等に与えているという例がわずかにあった。タバコを嫌う人にとっての理想は完全禁煙かもしれないが、いきなりそれをやるのは難しい。ならば、タバコを吸いたい人もそうでない人も平等に休憩時間を設けることが現実的な解決方法といえるかもしれない。
お昼休憩以外にも、みんなでちょっと勤務としての休憩、リフレッシュしてまた頑張りましょ!っていう人に優しい働き方。休憩を取ることも仕事のうち!
この方がみんなでイライラするよりも、ずっと生産性(←嫌な言葉ですが)も上がるはず!
勝利至上主義甲子園
春休みということで、選抜高校野球大会が始まりました。
ツイッターを眺めていると、このようなスポーツニュースが流れてきました。
「全員野球」が本当に理想なのか。英明・香川監督が貫く「9人野球」
香川県の英明高校では、全員野球ではなく、9人野球を理想としているという記事。どういうことか気になったので読んでみることに。
監督の言う9人野球とは、こういうことらしい。
・勝つためには、全員参加ではなく9人のエリートだけで戦うことが正解
・練習はあくまでレギュラー中心
・ベンチの控え選手は使ってもらえることはほとんどないが、甲子園に来られたんだから結果オーライ
・もちろん控え選手にも練習させてもらえるチャンスはある
(詳しくは貼り付けた記事を読んでみてください)
このチームは、勝つことに、甲子園に出る事を重点的に取り組み、実際、甲子園に出られたのだから、それはすごいことかも知れない。(生存者バイアス)
さらに記事から引用すると、
ここまでがっちり固定されていると、レギュラーたちは、自分がやらなければ誰がやるのだと意気に感じて好結果を生みそうだが、この日は逆だった。
肝心なところで走塁ミスが出るなどし、たびたび得点機を逸した。香川は試合後、ご立腹だった。
なぜ監督がご立腹なのかが疑問。
このチームは監督を喜ばせるために野球をしているのかな?
監督が自分に対してご立腹なのであれば分かる。中日の落合元監督も負けた時は自分のせいだって言ってたし、きっとそうでしょう。
そして、監督はこうも言っている、
「安心し切って、ゆるみまくってる」
まるでプロ野球の監督のようです。
そもそも、初出場の選抜甲子園で「安心し切って、ゆるみまくってる」としたら大したもんだと思いました。
他のニュース記事での監督の発言も見てみました。
(試合前)
--チームの状態は。
香川監督:全然良くない。最後の練習試合で失策が多く、投手もストライクが入らず、打てずにどうしようかと思っている。
--意気込みを。
香川監督:勝つことはあまり考えていない。いい試合ができれば。甲子園を楽しませてやりたい。
(試合後)
英明・香川智彦監督:外野のエラーなど心配していた通りのことが起きた。先取点が欲しかった。チャンスもいっぱいあったのに拙攻ですね。
「勝つことはあまり考えていない。いい試合ができれば。甲子園を楽しませてやりたい。」
勝敗は結果ですからね。楽しんでやったほうがいい結果につながりやすいですし。
試合には負けたけど、甲子園での試合、甲子園を楽しめたのかな?
夏の甲子園に出場された際には注目したい。
勝利至上主義ではなく…
以前にも少し書いたことがありますが、同じ『number』から、感銘した記事を紹介。
少年野球から高校野球に至るまで、勝利至上主義で行われている野球に対しての筒香選手の提言を扱った記事より。
楽しいはずの野球なのに、大人の顔色を見ている。
筒香が挙げたのは指導者や親が勝利至上主義を求めすぎて「楽しいはずの野球なのに、子供が怒られないように、失敗しないように大人の顔色を見てプレーしている」こと。(略)
また一発勝負のトーナメント形式での大会運営では、試合に出る選手の負担は大きく、逆に試合に出られない選手は全く経験がつめない弊害がある。(略)
こうした様々な問題の背景にあるのは、筒香が最初に語った日本野球の勝利至上主義があることは間違いない。高校野球を頂点に少年野球まで、勝つために大人が子供を動かすシステムが一般化している。ただ筒香はドミニカ共和国や米国で子供達が勝つためではなく、いかに楽しんで野球をやっているかということを身をもって感じてきた。その結果として彼らの方がはるかに成長曲線としては大きなカーブを描いている現状を指摘するのだ。
中学生のチームなら、そこの監督が任されているのはその3年間、高校野球であれば、その3年間。その3年間で実績を残すことが自分の務めだと考えている監督も多い。ピッチャーは勝利至上主義により、精度の高い変化球を求められ若いうちからヒジを壊すといったケースもよくある話。勝つために小学生のうちから変化球を投げさせることもあるようです。
僕の高校野球を見る時の楽しみ方は、そのチームの雰囲気や選手の表情、監督の表情に注目することです。高校野球の中継を見ていると、時々、ピンチでも笑顔のピッチャー、野手、ピンチでも笑顔で選手たちをリラックスさせようとしている監督とか映ります。楽しそうに野球しているな、と思えるチームを見るとこちらも楽しくなるし、気づけばそのチームのファンになっています。
おしまい。
階段を使う従業員に違和感を覚えた話
今日、電機店に行ったときのこと。
そこは、1階が駐車場で2階が店舗になっているタイプの誰もが知っている大手電機店。
僕が、2階から1階へエスカレーターを使って帰ろうとしたときに思ったことについて書きます。
下りのエスカレーターに乗っていると、1階にその店の店員(女性、おそらく50~60代)が、接客をしながらお客さんと2人でエスカレーターの方に近づいてきました。
お客さんは上りのエスカレーターへ。そして、店員さんはエスカレーター脇の階段へ。
その店員さんはエスカレーターに乗っているお客さんへ階段を登りながら接客を続けていました。
めっちゃ違和感……
店員さんも一緒にエスカレーターに乗れば話もしやすいだろうに。
きっと、「従業員はエスカレーターは使わず、階段を使うように」という会社の規則があるんでしょう。
従業員がエスカレーターを使っていて不快に思う客っているのかな?
従業員がエスカレーターを使わずに階段を使うことでなにかいいことがあるのかな?
ああ、わからない。わからない。
しかも、その店員さん、結構な年配の女性でした。
今はまだまだ階段でも平気と思っていても、これから先は分かりません。
少子高齢化で死ぬまで働かないといけなくなる時代。従業員も高齢化していく……
それに、若くたって疲れやすい人もいます。むだに疲れさせて会社にとって、ほんとなにかいいことがあるんでしょうか。
「従業員は階段を使うこと」
こんなこといつまで続けるんでしょうか。
もし、買い物に行った先で、お店の従業員が、
エスカレーターを使っていたり、エレベーターに乗っていたり、イスに座って仕事をしていたり、こそっと水分補給をしていたり等々、快楽に仕事をしていたら、その会社は従業員に優しい会社である可能性が高い。従業員満足度も、旧態依然とした慣習が残っている他の会社よりも高いはずです。そういったお店や会社を見つけたら贔屓にしていきたいと思います。そうしていくことで、我々の住む社会がもっと暮らしやすい社会になっていくはずです。
従業員満足度が高い店と低い店。顧客満足度が高い店はどちらの店でしょうか。どちらの店の方がクレーム数は少ないでしょうか。
会社の偉いさん達は、現場に、「クレームを減らせ!」と言うだけではなく、まずは従業員満足度を高めることから始めてみてはいかがでしょうか。
おしまい。