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朱い夏

キミたちがいて、ボクがいる

こころの受け皿

社会・ニュース 哲学 ネットラジオ

さてみなさん、

自分にとってはコレつまらないなあ、良さがわからないなあと思えてしまう映画や小説、または音楽、スポーツや食べ物に至るまで様々な事柄についてネガティブな意見を抱くことがあると思います。

 

つまらないものはつまらない。

そう感じて切り捨てていたはずのものが、ある日、その良さに気付いてしまう。そんな経験が誰にでもあると思います。

 

たとえば、子どもの頃は、相撲中継を見るのが退屈だったり、落語の面白さがわからなかったり、クラシック音楽や演歌に興味がなかったり、お葬式でお経を聞くのが苦痛だったり、時代小説の面白さがわからなかったり、食べ物で言うと、納豆が食べられなかったり、マスタードが苦手だったり、他には、異性への好みにうるさかったり。とにかく、かつて自分には合わないと思っていたものが、今はその良さが分かる。好きになってしまった。ということ、僕にもあります。

 

今その映画が流行ってるの?ワシには合わん!

今そのユーチューバーが人気なの?良さがわからん!

 

など、よく目や耳にします。

今、自分がそう思っていることを主張するということに対して否定はしません。

僕だって、つまらんもんはつまらんって言いたいですし。

 

しかし、かつて苦手に思っていたものが今はその良さが分かることもある。

ということは、今、苦手なものでも将来好きになるかもしれない。

 

「受け皿」という言葉でうまく表現されているこんな話を聞きました。

それが今回のテーマであり、その内容とは以下になります。

 

荻上チキさんの番組にゲストで出演されていた音楽評論家の萩原健太さん(還暦を迎えられたそうです)が、人の好みの変遷について少し言及されており、なるほどと、ひざを打つような話をされていたのでご紹介。

 

www.youtube.com

ちょっと聞いてみようと思う人は、2:00~9:00ぐらいの部分がそれに当たります。

 

その中から少し箇条書きをしてみます。(だいたいのニュアンスですが)

 

  • 出会う人に対して、自分にはない素敵さを見つける目が養われてきた。
  • これまで、嫌いだ、つまんないと思っていたものがあったが、それは、良さをわかっていなかっただけ、自分の受け皿が小さかっただけだったことに気付いた。かつて嫌いだった人に対してもそうだし、音楽や映画、小説もそう。
  • 昔切り捨てたものにもう一度触れてみると、あの時気づかなかったけど実はこうだったのかという再発見がある。つまり、年数が経って自分の受け皿が広がっていたというわけ。
  • かつて、つまんないと言っていたものが良いものであることに気付いた時、本当につまらないのは、そう言っていた自分だったことに気付いた。
  • 最初からそのものの良さに気付ける人もいるが、われわれ凡人は、ちょっとずつその受け皿を広げていくしかない。
  • 食べ物のミョウガとか、子どもの頃はよう食べられなかった。でも今は好きなわけで、そういうのがいっぱいある。
  • もちろん、自分の受け皿が広がってもどうにもならないものもある。しかし、つまんない、良くない、というのは、わからないだけ。そう思うようにしている。

 

普通やん当たり前やんと感じる内容かもしれませんが、

様々ある作品などの良い悪いの判断は、自分が持ち合わせている「受け皿」の大きさがどうなのか、という表現を使っておられるところがわかりやすかったです。

 

それと、つまらないと思える作品に出会った時、作り主に対してだけではなく、自分の受け皿についても考えるということは、悪いことではないと思います。

 

かつて嫌いだったものが好きになる。そんな受け皿の広がりを感じながら生きてこ。

 

 

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画像:http://mlpg.com.au/a-beginners-guide-to-negative-and-positive-gearing/