『ひびわれ壺』の話~無用の用を知る

世に広まったインドの民話『ひびわれ壺』の話をご存知でしょうか。

このお話をブログで紹介されている方も多くおられるようです。

それぐらい有名な話なのかもしれませんが、私は最近知りました。

私の好きな言葉「無用の用」。そんなエッセンスが詰まったお話です。

 

「無用の用」という故事は中国の書物老子』から生まれました。

役に立たないと思われているものが、役に立つ。

人も物も、見方や立場を変えれば役に立たないものはないという考えです。

無用の用 - 故事ことわざ辞典

 

私も以前、このような投稿を致しました。 

parm.hatenablog.com

 

 

では、もったいぶらずに早速、『ひびわれ壺』の話をご紹介いたします。

読みやすいように、改行や()で補足を入れています。

 

インドのある水汲み人足(人夫)は2つの壺を持っていました。天秤棒の端にそれぞれの壺をさげ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。

その壺の一つにはひびが入っています。もう一つの完璧な壺が、小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに、ひび割れ壺は人足が水をいっぱいに入れてくれても、ご主人様の家に着くころには半分になっているのです。

完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼がつくられたその本来の目的をいつも達成することができたから。ひび割れ壺はいつも自分を恥じていました。なぜなら、彼がつくれたその本来の目的を、彼は半分しか達成することができなかったから。

 

2年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」
「なぜそんなふうに思うの?」
水汲み人足はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人の家まで水を半分しか運べなかった。水がもれてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力に報われることがない。私はそれがつらいんだ。」
壺はいいました。
水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花をみてごらん。」

 

天秤棒にぶらさげれて丘を登っていくとき、ひび割れ壺はお日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に気がつきました。
花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。

 

すると彼は言ったのです。


「道端の花に気づいたかい?花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?僕は君から落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。そして、君は毎日、僕が小川から帰る途中水をまいてくれた。この2年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しさで家を飾ることができなかったんだよ。」

(作者不詳、菅原 裕子さん訳)

http://www2.city.fuji.shizuoka.jp/~p-fuji2/cgi/sfs6_diary/sfs6_diary/609_1.pdfより

 

「無用の用」を知る。まさにそんなお話です。

そればかりか、ここに出てくる人足(人夫)の優しさにも心打たれます。

 

 

この話についてあれこれ感想を述べても野暮かもしれませんが…… 

 

完璧な壺のように、一直線に効率よく、本来の目的をいつも達成することができる人もいれば、半分しか達成させられなくても知らず知らずのうちに数字には表すことができない「花」を咲かせられる人もいるのです。

野球で言うと、4番バッターやエースピッチャーばかりのチームなんてあり得ません。ベンチを盛り上げるのが得意な人、グランド整備が得意な人、ボールを磨くのが得意な人、相手チームの分析をするのが得意な人。なにも、打点を稼がなくても、最多勝を取らなくても、あちらこちらに「花」は咲いているのです。

 

 

いろんな場所に咲いている、または咲こうとしている「花」を見つけられるような、そんな「ひびわれ壺」だからこそ輝けるものを引き出せるような人間になりたいものです。

 

 

ひびわれ壺 子育てに大切なことがわかる小さな物語

ひびわれ壺 子育てに大切なことがわかる小さな物語

 

本はまだ読んでいないので、近いうちに読みたい。

 

 

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