哲学映画!?シビルウォー・キャプテンアメリカ もてラジ感想

※ネタバレというほどのことはありませんが、注意が必要かも…

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アメコミヒーロー物はアベンジャーズの映画を見たことがある程度で、あとはご多分に漏れずスパイダーマンのアニメを子供の頃に見てましたよ、と言う程度でした。小学生の頃、朝登校前ぐらいに放送していたような?おぼろげな記憶(ちなみに大阪)。

  

そんな、アメコミヒーロー物に特別思い入れのない僕がなぜわざわざ映画館まで足を運ぶ運びとなったか。それは、もてラジにしてやられたというわけだ。

この放送を聞いてしまったからには、居ても立っても居られなくなったというわけだ。

moteradi.com

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 見終わってからも、まさかこうして感想を書くことにまでなるなんて思いもしなかった。

心に湧き上がってくるこの何かを吐き出さないと溢れそうになる、大げさだが、そんな思いにかられているわけだ。

それぞれのヒーローの独立した過去のエピソードはほぼわからない事を前提に、単純にシビルウォーキャプテンアメリカについて僕が感じた主観を浅くて恐縮だが語りたい(「語る」なんてホントおこがましいが)

 

前置きはこれぐらいにして、

 

もてラジ放送回のタイトルに「徹底討論」と書かれてある。何が徹底討論の題材なのか。

それは、この映画の前半の核ともなる、ヒーローの出動や活動に関する国連の協定にサインをするかしないか、という話の筋。

サインをした場合、世界からの要請という大義名分を与えられた上で、いわゆる「悪」を倒す活動が出来る。しかし、協定に縛られるため自分の意志では行動できなくなる。分厚い規則だらけの協定書に従わなければならない。

一方、サインをしなければ世界中から非難されるという空気感。大手を振ってヒーロー活動をすることが容易ではなくなる。

 

ではなぜ、そもそもそんな協定が作られたのか。

これまでヒーローたちは様々な国や地域で「悪」と戦ってきた。ヒーローとしては「悪」がいれば倒しに行く。当たり前のことである。ただ、その際に民間人にも被害が出るケースも皆無ではなかった。「悪」との戦いの中で巻き添えをくらってしまう民間人もいたわけだ。それに様々な施設も破壊されることもある。

 

ヒーローたちの活躍が当たり前になってしまっているセカイでは、時に被害を拡大しかねないヒーローに不満を持つ人も出てくる。

そんな非難の声が大きくなってきたため、それを沈めるため協定が作られたというわけだ。

 

さて、あなたがヒーローだったらこの協定にサインするだろうか。

ヒーローたちも意見が別れる。

どう別れたか、分かりやすい画像がこちら

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 各キャラクターはここでも確認できる。

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僕は最初、サインをする側、アイアンマン視点に立っていた。

そのほうが丸く収まりそうだったからだ。

そして、相反するキャプテンアメリカは一時はアイアンマンからサインをするためのペンを受け取るが、やはりペンを置いてしまう。

 

お互い譲れない状況。ヒーロー同士が対立してしまう。

 

もてラジでは、どちら側の意見が「正義」なのか。また、ヒーロー活動に巻き込まれ命を落とした民間人についての意見交換が行われます。誰が責任を取るのか、遺族の悲しみはどうしてくれるのか。遺族にとってはヒーローが「悪」なんじゃないのか。など様々な議論が展開されます。

 

もてラジ出演者のそれぞれの意見は是非放送を聞いてみてください。

 

とにかく議論は尽きません。

これは感情や哲学の問題なので数学のように正解はありません。

 

 

僕なりのシビルウォー主観、感想を3つ述べたいと思います。

 偏った取るに足りない意見なので、興味の無い方はできれば読まないでください。

 

自分が正しいと思うことをやる。

協定にサインしてしまうと、自分が正しくないと思うこともしなければならなくなる可能性が大。だからサインはしない。

「世論」のために戦っているわけではない、正しいと思うから戦っている。それだけでいいのではないか。

「悪」を倒し、市民に笑顔になってもらいたい。それだけがキャプテンアメリカのインセンティブなんじゃないかと思うわけだ。ヒーローとはそうあるべきだと思いたい。

もうひとつ、サインをするしないは、これからのモチベーションにも影響を受けると考えられるのではないだろうか。

サインをした場合、今後出動の際は、要請があったからやるといった外発的動機付けで活動を行うことになる。自分が正しいと思うからやる、というわけにはいかなくなる。

自立性や目的が失われるわけだ。指示や命令で動くことは精神的に苦痛がつきまとうだろう。

アイアンマンが協定に縛られそれに従うだろうか?

キャプテンアメリカの意見はうなずける。 

 

 

  • ヒーローに恨みを持つ市民について

恨みを持つ相手が間違っている気がする。

「悪」を倒すための巻き添えをくらったことに対して、民間人がヒーローに恨みを持つということは正しいか、正しくないかという問題。

例えば、日本とアメリカの地下鉄のテロ対策の話を聞いたことがる。

日本→テロに遭った際、乗客を逃がすため車両のドアは開放される。しかし被害が拡大する恐れがある

アメリカ→テロに遭った際、車両のドアはロックされその車両に居合わせた人は最悪被害を被るが、それ以上被害は拡大しない

簡単に言うとこういう話だったと思う。

もしあなたの家族が地下鉄に乗っていて、日本式にしろアメリカ式にしろテロの被害にあった場合、

怒りを鉄道会社に向けるだろうか、それともテロリストに向けるだろうか。

また、少ない犠牲で多くを救うという考え方は「哲学」という学問でも正解は出ていない問題である。立場によるので正解はないのだろう。

シビルウォーはそこにも踏み込んで問題提起をしている。ヒーローは言わば、扉がロックされる車両とも言えるのである。日本ではこんな踏み込んだ議論をする土壌はまだ熟してはいないように思える。

救われた命も数多あるはずだが、ヒーローにとっては残念ながら、救われた人の数の検証もされなければ発表なんてされない。

ものすごく偏った見解かも知れないが、映画を見ながらそんなことを思った。

立場によって意見は変わるのが当たり前だから正解はいらない。

 

 

  • いっそのことヒーローやめてやったら?

非難されてまでヒーローをやる意義はなんだろう?と単純な疑問が湧いた。

「悪」から人間を守るため命をかけて戦うヒーロー。

もちろんお金のためではなく、賞賛されたいがためでもない。先程も触れたように、市民の笑顔を取り戻したい。それだけのために「悪」と戦っていたはずなのに、いつの間にか自分が「悪」にされていた。このままだと、デビルマン(不動明)に見たように戦う意義をなくしてしまうだろう。

それを市民が望むのなら、いっそのことヒーローやめてやったら?と思うわけである。

失って初めてヒーローの大切さに気づくかもしれないし、結局ヒーローはいらなかった、という結論になるかもしれない。大事なのは市民が自分たちで考えて結論を出すことだ。 

ヒーロー活動を非難されるなら未来を見据えて一旦やめてみる。辞めろという意見を受け入れてみるのもありなのかなぁ。

しかし、それでも戦わざるをえない。ってのがヒーローだったりもするから本当難しい。

 

 

ここまで書いて疲れたのと、吐き出したいという欲求がしぼんできたのでこの辺りでストップしようと思う。

あー、シビルウォーを見て本当によかった。

単純に面白かったし。おしゃべりスパイダーマンもよかった。

もてラジを聞いていなかったら見ていなかった映画だと断言できる。

 僕の論点は、ずれていたかもしれないが多種多様の視点があってもいいと思う。まあ大目に見てやってください。

 

 

今日は映画館のお客様感謝デーということで、1,100円で見れたし。今日仕事が休みだったのも何かの縁だったのかな。その割に客は10人もいなかったけど。

それに関連した余談ですが、勝間さんのこの記事。

もてラジ的には興味深いのではないかと思うので貼っておきます。

 行った映画がおもしろいか、おもしろくないか、わかる簡単な方法 勝間和代オフィシャルサイト

 

 

 おまけ。ヒーロー賛歌といえばこれ


筋肉少女帯 おもちゃやめぐり

 ヒーローの喜びや苦悩、

わからないだろう?いいんだ、それで。