「活断層トライアングル」とは? 「神戸の壁」とは? 淡路島・北淡震災記念公園 『野島断層保存館』 に行ってきました!
淡路島にある、北淡(ほくだん)震災記念公園「野島断層保存館」を訪れました。
野島断層といえば、1995年の阪神・淡路大震災の震源となった活断層。
当時の僕は、高校3年生。そして大阪に住んでいたので今でもよく覚えています。
淡路島の北部、明石海峡大橋を渡って少しのところにあり、車でのアクセスもしやすい。まわりの景色も素晴らしいので観光がてら訪れてみてはいかがでしょうか。
▲ドライブやツーリングに気持ちいい絶景
その、野島断層保存館の中で、特に印象に残った3つをメインに記しておきたいと思います。
1)近畿の活断層トライアングル
若狭湾、大阪湾、伊勢湾
の3つを結んだ活断層の密集地があることが分かっており、これは、近畿三角帯と言われているそうです。
まさに活断層の巣のようです。
三角地帯と言われると、バミューダトライアングルみたいで怖いイメージを持ってしまいますね。バミューダトライアングル - Wikipedia
ちなみに、僕の家は中央構造線上に近いので、いざという時の備えはしっかりしておきたいです。
2)神戸の壁
これは、神戸の壁と呼ばれているもの。
この壁がどうした?と思っていたら何やらすごい壁のようで、興味を引かれたわけです。
昭和2年 神戸市長田区若松町に公設市場の防火壁として建てられる
昭和20年 神戸 大空襲
平成7年 阪神・淡路大震災
平成21年 北淡震災記念公園に再移設
(引用元: 神戸の壁 | ほくだん)
▲「神戸の壁」の由来
第二次世界大戦中の神戸大空襲(1945年)に耐え残り、阪神・淡路大震災では周囲の建物が倒壊全焼する中、この壁だけは倒れず、焼けず、その姿をとどめました。
(引用元:野島断層保存館 | ほくだん)
戦争での大空襲と、震災を経験した神戸の「語りべ」としてこの壁を後世に残そうという運動が起こったそうです。
▲(光って見にくいですが)空襲を耐え残った「神戸の壁」
そんな、神戸の人たちに愛された「神戸の壁」に、さらにこんな物語が!!
「神戸の壁」に文字が隠されていたのだった!
昭和二年の建設時、当時の左官屋が書いたとされており、
「西や東 モタレ カケテ 南クル人 北ガル」
と書かれているそうです。
公設市場の防火壁ということもあり、東西南北から人(客)が集まればいいなー、という願いが込められているのでしょうか。
粋な左官屋さんですね。
▼もはや、なんと書いてあるかわからなくなっていますが…
3)地震体験
ここでは、2011年の東日本大震災と、1995年の阪神・淡路大震災の揺れ方の違いを体験することが出来ます。
この2つの揺れ方の違いはハッキリと明確で、東日本大震災は横揺れ、阪神・淡路大震災は縦と横の強い揺れでした。この地でこんな揺れがあったなんて…本当に人間の無力さを覚えずにはいられません。
展示の説明文によると、揺れ方の違いは震源地の差の違いも理由としては大きいようです。それが津波の発生にもつながったということみたいです。
◆その他見どころ、一言メモ
▲このような、断層のズレをが分かりやすく説明してくれている展示物が多数あります
▲赤に塗られたところは震度7(左)。横倒しになった阪神高速(右)
▲活断層の恐ろしさが明確に分かる一枚
▲語りべの部屋が用意されている。風化させてはいけない(左)
震災直後の台所の様子。食器棚が倒れています。天井へのつっぱり棒など防災グッズの重要さがよく分かります(右)
▲こんな展示物まで!そういえば今年、メガマウスが打ち上げられたという記事を見た時は怖かった。
不安を煽ることに利用するのはダメ、絶対!
最後に
メインで紹介させて頂いた3つは、はじめて知ることばかりで、ここに訪れて良かったです。
しかし、これだけ震災を意識させられても防災意識は薄れていくのでしょう…
そうならないためにも、地震の揺れ、台所の倒壊の展示物など具体的なイメージを持つことが出来たのは身になったと感じました!