ハンセン病問題を知る

厚生労働省が発行している『ハンセン病の向こう側』という小冊子を読んだ。

 

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ハンセン病。名前は聞いたことがあるけれど詳しくは知りませんでした。

 

ハンセン病とは - はてなキーワードから一部引用すると、

らい菌(Mycobacterium leprae)によって起こる慢性の細菌感染症。かつては「ライ病」と呼ばれていたが、古くからの偏見に結びついた呼称であるため、菌を発見したハンセン氏にちなんで「ハンセン病」と呼ばれるようになった。

体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になるのが特徴。特にその外見から、患者やその家族は差別の対象となり続けた。

 

患者は、警察によって強制的に連行され、療養所に収容された。しかし、そこではろくな治療は行われず、患者同士での看護・作業など病人扱いされなかった。また、結婚の条件として非合法な断種・堕胎なども行われた。

 

とある。

現在の日本では、「らい菌」に感染したとしても、ハンセン病になることはほとんど無いという。

 

 

ハンセン病の偏見・差別問題は現在も進行中

 

ハンセン病問題は、「らい予防法」による国の誤った隔離政策が廃止され、20年以上たった今も、ハンセン病に対する偏見や差別が残っていると多くの入所者や社会復帰者が感じている。まさに現在進行中の人権問題となっている。

 

この小冊子には、どのようなひどい差別が行われてきたのかが掲載されている。僕が衝撃を受けたいくつかの事例を紹介したいと思います。

 

 

患者を強制的に収容し、療養所から一生出られなくする

 

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明治後期から昭和前期にかけて、「ハンセン病絶滅政策」という政策が行われていた。

この政策によって、偏見や差別が一層助長された。

 

 

実名を名乗ることもままならない

 

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やっとのことで1996年に「らい予防法」が廃止された後も、偏見や差別は世間から消えることは無く、療養所を退所しても家族に迷惑がかかるという思いから本名や戸籍、故郷を捨てた人もいる。

また、療養所の外は安心できないと不安もあったということからも、差別の凄まじさを知ることが出来る。

 

 

たくさんの人が亡くなった、零下20度にもなる監禁所

 

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この小冊子で、療養所の実態を知ることも出来る。

長いですが、画像の文字は読みづらいかもしれませんので引用します。

 

国はハンセン病患者に対し、強制隔離しただけではありません。収容した療養所では、重傷者の看護、眼や手足の不自由な人の介護、そして食事運搬や土木・木工、さらには亡くなった寮友の火葬までも、入所者に強制的にやらせたのです。

また、療養所内での結婚の条件として子供が産めない手術を強制されたりしました。

さらに、こうした措置に不満をもらせば、次々と療養所内の監禁所に入れられました。栗生楽泉園には全国のハンセン病患者を対象とした「特別病室」という名の重監房があり、零下20度にもなる極寒の環境下で食事もろくに与えられず、たくさんの人が亡くなったのです。

 

 

療養所はなぜ交通が不便なところに設置されていたのか

 

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以上、厚生労働省が発行している小冊子より、僕が衝撃を受けた箇所をほんの一部ですがご覧頂きました。

人に伝染ることもなく、感染しても発症することはまれ。早期発見と適切な治療で、後遺症を残さずに治すことが出来る。

なのに、外見が「普通と違う」ということで、今でも偏見・差別は続いている。

ハンセン病に限らず、伝染病であったとしてもなかったとしても、外見が普通であっても普通でなくても、差別は当然良くないということを再認識させてくれます。

 

ハンセン病について知る事ができ、理解が深まったことはとても意味のあることになりました。

 

 

今回紹介させていただいた厚生労働省発行の小冊子ですが、WEB版を見つけることができましたのでこちらに貼っておきます。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/dl/h0131-5i.pdf