「一人の100歩より、百人の1歩」という名言があるそうで

 

さてみなさん、今回は僕が気になっている名言についてのお話です。

それは、

 

一人の100歩より、百人の1歩

 

という名言です。一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

永守重信[ながもり・しげのぶ](日本電産創業者)という方の言葉とのこと。

 

この言葉を知った時はいい言葉だなあ、なんて思っていたこともありました。

一人だけがしんどい思いをするよりも、みんなでちょっとずつ頑張ればいい。うん。

しかしその後、徐々にこの言葉に違和感を覚えはじめ、今では聞きたくない言葉になってしまいました。

 

なぜか?

 

この言葉を聞かされるときは、だいたい同じシチュエーションだからです。

目上の者が自分たちの都合で、目下の者に向かって使うことが多いことに気づいたのです。

 

例えば高価なAという商品を100個売らなければならない、といった時、一人のスーパーセールスマンが100個売ることができたらそれでいいのでしょうけど、そういう人はまあいない。いたとしてもその人がそこを去ってしまったら売れなくなってしまう。

100人の一歩理論なら、最低100個は売れる。

 

こういうケースで「一人の100歩より、百人の1歩」という言葉を、目上の者の口からよく耳にするのです。

もちろん一個売ったら終わりではなく、2個目、3個目と要求はエスカレートしていきます。

この商品をいつまでに何個売れ、と命令されたり、労働者同士で競争させられたり。誰が何個売った、誰はまだ売ってない。あの人がまだ売ってないせいで私がもっと頑張らないといけなくなった。労働者どうしがそんないがみ合いに飲み込まれていく。成績のいい人は威張り、セールスが苦手な人は肩身が狭い。場の雰囲気は悪くなる一方。

 

Aという商品を100個売らなければならないことは、顧客には何も関係ありません。会社とメーカーの裏契約によるノルマだったり、管理職の評価は担当地域のノルマ達成率で決まるような評価制度になっていたり。組織として未熟なのが問題。

 

そんな組織で、目上の者から聞かされる言葉が、「一人の100歩より、百人の1歩」で頑張ろうなのです。(自腹買いも含む)

 

みんなでちょっとずつ我慢しようね。

みんなもしんどいのだからあなたも一緒にしんどい思いしてね。

ワンチームなんだから同じ方向を向いて仕事してね。

 

ついには、こんな同調圧力めいた言葉が労働者の側からも聞こえてくるようになります。

 

使用者側が「百人の1歩」という言葉を使うのは、それこそ100歩ゆずりましょう。

しかしなぜ、労働者側が労働者に向かってそれを言う?顧客のためになることならまだしも、売る目的が会社やメーカーや管理職の評価のためになっている。そんなことに労働者が利用されている。(使用者の真似事が上手い労働者が出世していく組織が問題)

 

「百人の1歩」という言葉を使う際は、それは本当に労働者たちの心身に負担をさせてでもやる価値のあることなのか、経営理念からズレた、やらなくていいことにわれわれ労働者が利用させられようとしていないか、しっかり見極めて使う必要がある。