やりがい搾取
羽鳥慎一モーニングショーを見ていたら、パワハラのニュースから「やりがい搾取」が話題になっていた。訴えを起こした人たちは、つらい思いをされたようですが、泣き寝入りせず勇気を出して訴えに出られたことは素晴らしいと思う。
地上波のテレビで「やりがい搾取」という言葉を聞くとは思っていなかったので思わず画面を撮ってしまった。
「やりがい」や「やる気」を持って仕事をすることは悪いことではないし、どうせなら、やりがいのある仕事をしたいというのは分かる。
ただしそれは、働く側の中から湧き上がってくるものであり、押し付けられるものではないはずだ。ましてや、それにより得られた金銭的利益が金銭的報酬ではなく、心理的報酬だけで済まされようとしているのは間違っているとも思う。
以前、このような投稿をした。
その中で、引用したのが以下になる。
さらに、太田氏は、「ほめてやる気を引き出し、生産性を上げようとするのも『搾取』と紙一重だということになる」(P.118)と指摘。「企業はそこから経済的な利益を得ながら、働く人には心理的(主観的)報酬だけですませようというのは、やはりフェアではない」(P.119-120)と警告を発しています。
僕が経験した会議の場でこういうやりとりがあった。
とある商品の販売コンクールで、よく売った店の成功事例の話になり、上司がよく売った店の店長にどうやって実績を作ったのか聞いたところ、その店長はこう答えた。
「売った人を褒めまくる。それだけです!キリッ」
と、胸を張ってドヤ顔で返答した。それに対して上司は、
「ああ、それが一番大事ですね!」
と、こんなやり取りをしていた。
えッ、褒めまくる。それだけ??褒めて終わり?
褒められたいっていう承認欲求につけ込んだいやらしいやり方だなあと感じた。
先ほどの、
『企業はそこから経済的な利益を得ながら、働く人には心理的(主観的)報酬だけですませようというのは、やはりフェアではない』
という言葉が蘇る。
フェアに行こうと思うと、経済的な報酬も与えた上で、心理的報酬を与えるというのが筋ではないだろうか。プロ意識を持てとか言うんだったらなおさら。
やりがいだけめいいっぱい搾り取ってやろう、という考え方は今の社会には当たり前に存在するが、最初に挙げたニュースのようにそれをパワハラだと訴えるようになってきたことは、僕も労働者の一人として応援していきたいし、「やりがい搾取」という言葉がもっと世間にひろまり社会問題として扱われるべきだと思っている。