能力の差は五倍、意識の差は百倍!?
「能力の差は五倍、意識の差は百倍」
chichi-ningenryoku.com より一部抜粋
世の中、何故ラッシュアワーが起こるかというと、
九割の人が普通のことをしているからです。
わずか十分か十五分普通より早く行動することで、
全然違う世界があるんです。
だからうちの社員にはよそよりも
十分早く来いと言います。
その十分を早く来られる人間は
世の中の十パーセントなんですね。
それが意識の差なんです。
人間の能力の差なんていうのは、
最大五倍くらいしかないですよ。
知能とか知識とか経験とかはね。
しかし意識の差は百倍あると私は(社員たちに)言うんです。
それさえ頭に入れておけば、どんな人間でも成功できる。
「能力の差は五倍、意識の差は百倍」
という言葉が一人歩きをはじめ、まずいことに、間違われた解釈で某組織に蔓延しているらしい。
ノルマを達成できなかった→意識が足りないからだ
高い目標の押し付け→意識があればクリアできるだろ?見せてくれ"思いの差"ってやつを!
クレームが多い→意識が足りないからだ
本当にそんなひどい組織があるの?と思わず耳を疑ってしまった。
問題にぶち当たった時は、意識が無いと責めるのではなく、その原因を突き止めて対策を練るのが本来やるべきことなのではないか?
それを、意識が足りないから結果が出ないんだと、意識のせいにする。
人を管理したり威圧し抑えこんでおくにはもってこいの言葉だ。
そんなものは、論理的思考ではない。
意識が足りん!と部下を叱るのは簡単だ。
だが、そこに具体性はない。部下のやる気を失わせていることに気づいていない。
(あとで触れるが、この格言の本質は全く逆で、部下のやる気を向上させるためのものなのだ)
この話を聞いて、
「能力の差は5倍、意識の差は100倍」という言葉は、
①数字が用いられているがその数字に根拠はあるのか?
②能力<意識 という構図は、そもそも本当なのか?
という点が気になってしまった。
まず、
①について言えば、残念ながら5倍、100倍といった数字の根拠・データは確認できなかった。検証された数字ではなかった可能性が高い。
結論その①
根拠が無い「意識の差は100倍」という禁じられた数字を用いて部下を管理するのは間違っていると言い切ることができる。
次に、疑問②についてだが、少しややこしい。
能力は意識に劣るのか?という問題である。
もう少し発言者の意図を読み解く必要がありそうだ。
別の発言も見つけることが出来た。
人の総合的な能力は、天才は別として、秀才まで入れてもただか5倍、普通は2倍しか違わない。
ところが、やる気、士気、意識は100倍~1000倍の差がある。だから、少々能力がなくても、意識の高い人間を採ったほうがいいと思っている。
日本企業の再生に必要なのは社員の心の再生。社員の能力差はせいぜい2、3倍。しかし、絶対に売ってみせるという意識の差は100倍から1000倍の差があります。
社員の心をつかんで変えるのがトップの役割といえます。
・能力よりも、やる気(モチベーション)が大事なのだと説いている
・社員の心を変えるのがトップの役割であると説いている
結論その②
「能力の差は5倍、意識の差は100倍」という言葉の発言者の意図は、
組織の上司が部下に対して威圧的に用いるための言葉ではなく、
社員の上司や組織のトップが、社員のモチベーションアップを図るために、上司である自分たちを戒めるために使用するべき言葉だったのだ。
面倒な仕事ともいえる「部下の能力の向上」に力を入れず、意識を持て、意識を見せろ、と口だけ動かしている上司は、(わざわざ例に上げ論じる必要もないが)失格、考えを改めるべきなのである。
もう一度整理すると、
「能力の差は5倍、意識の差は100倍」の本来の意味は、部下を叱るために威圧的に使う言葉ではなく、社員や部下のモチベーションアップが図れていない上司に対する懲らしめの言葉であったわけだ。
意識が大事なのだから、上司は部下のモチベーションアップのために注力せよというわけです。
この格言自体に罪はなく、意図的に曲解し悪用している者が罪である。
文章に数字が入ると突如、説得力が増してしまう。慎重に使う必要がある。
今後は 、社員のモチベーションアップのために正しく使用していただきたい。
文中に出てくる「禁じられた数字」という言葉は、山田真哉さんの著書から取り入れました
食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字 〈上〉 (光文社新書)
「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字〈下〉 (光文社新書)