ストイック!? な人たち
ストイック
【stoic】(もともとは「ストア派の」という意味) 禁欲的な。
自分を厳しく律するさま。欲望に流されない人。ダイエットに必要な態度。
たとえば、仕事にストイックな人というと、遅くまで残業したり、休日出勤をしたり、家に帰っても仕事のことばかり考えていたり、自分の時間を削ってでも仕事仕事という人を想像してしまいます。
でも、違ったんですねえ。
仕事にストイックな人とは、7時間・8時間寝て、休日は仕事のことを忘れてリフレッシュする。そして、仕事の時間は仕事にしっかりと専念する。と、いうことを知りました。
最近読んだ、千原ジュニアさんの「西日の当たる教室で」という本にこう書かれていたわけです。
格闘家の話があって、その中で、
あと、「本当のストイックってなんだろう」とも思いますね。ある若手選手の家にはテレビさえないストイックな生活をしている、一方で、五味選手は家でお笑いのDVDを観るのが好きや、と。
でもその若手選手の場合は、若さも手伝ってか、"ストイック憧れ"なんだと思うんですよ。突き詰めたところで考えると、絶対、家にテレビがあったほうがリラックスできるし、逆にそっちのほうがストイックやもんね。
格闘家が、家でお笑いのDVDを観て笑っている。そのほうが格闘家としてストイックなのではないだろうか、という話。
試合のために、リラックスする時間を作っている五味選手のほうが、格闘家にテレビなんか必要ないと言っているその若手選手よりもストイックであると。
そして、芸人についてのストイックさについても語られています。
芸人でいったって、7時間以上きちんと睡眠をとって舞台に上がるほうがストイックだと思うんですよ。
朝まで飲んでたにしろ、ずっとネタ合わせしてたにしろ、寝不足でボーっとした状態で仕事するよりは、十分に睡眠をとって頭の回転数を上げたほうがストイックやと思いますね。
芸人にとってのストイックさとは、朝まで飲んで”芸人らしさ"をウリにするのではなく、しっかりと睡眠をとって頭の回転数を上げ、目の前の観客を笑わせることに目的を置くことである。
たしかに、どちらがストイックかと言われれば、しっかり睡眠を取り頭をリフレッシュさせ、笑いを取るための準備をしているほうが、ストイックに違いないですね。
ストイックとは、「自分を厳しく律するさま。欲望に流されない人」。
そりゃあ、朝まで飲んだり、夜通しネタ合わせしているほうが楽しいでしょうし、芸人らしいと思われる。しかし、早寝早起きをして頭の回転をいい状態に保とうとする芸人のほうがストイックなのかもしれない。
有給休暇を取ろうとしない人、遅くまで残業する人、休日出勤をする人たちが、仕事熱心だね、ストイックだね、と称賛される事があってはならない。
と(強引ですが)結んでおきます。
吉田義男監督のこんなエピソード
プロ野球関連のラジオ放送を聞いていると、出演されていたプロ野球解説者の方がいろんな監督のエピソードを紹介されていました。
そこで、感銘を受けた話がありましたのでご紹介。
まずは簡単に吉田義男さんについて。言わずと知れた1985年の阪神タイガースが日本一になった時に監督をされていた方です。
御多分にもれず、山あり谷ありの選手・監督時代を過ごされたわけですが、とある一面に焦点を当てた内容となります。
吉田義男監督のエピソード
さて、吉田義男さんはどんな監督だったか。
チャンスで併殺打(ダブルプレー)を打った選手に対する接し方がすごいらしい。
どうすごいかと言うと、大抵の場合、結果がすべての世界でもあるため監督が併殺打を打った選手に対して叱責したり、苦い顔をしたり、気性の荒い監督だとイスを蹴ったりして怒りをあらわにします。
しかし、吉田監督は、「おしかったな」「もうちょいやったのにな」と選手をかばうような発言をしていたそうです。(たまには怒ることもあったでしょうけど)
どういうことかというと、守る側からすればダブルプレーはいい打球でないとなかなかむずかしい。ボテボテのゴロだと一塁はセーフなんていうことはよくあります。
つまり、併殺打はするどい打球であることが多い。たまたま内野手の正面をついただけであって、野手の間を抜けるか、正面をついてしまうかは紙一重だという。阪神では伝説的な遊撃手であった吉田さんならではの解釈ともいえます。
もちろん、野手の正面に打たせるためのバッテリー間の配球の組み立てによる勝利という事もあるでしょう。しかし、それはこの話ではどうでもいいこと。本質はそこではない。
どちらが、選手がのびのびとプレーできるでしょうか。次の回の守りに気持ちを切り替えてプレーできるでしょうか。実際、ラジオでその解説者は、阪神の選手がのびのびとプレーをしていたとおっしゃっていました。
だれも、併殺打を打ちたくて打っているわけではありません。併殺打を打って一番反省しているのは選手自身です。そんな時、「おしかったな」なんて監督が言ってくれたらどれほど救われるでしょう。次こそはって思えるのではないでしょうか。
怒りをあらわにする監督のもとでは、次失敗したらどうしよう。ピッチャーなら、フォアボール出したらどうしよう、ヒット打たれたらどうしようとミスをしないようにとばかり考えてしまいます。監督の顔色をうかがいながらのプレーでは本来の力を発揮できません。
プロの世界でそんな甘い考えは許されないのかもしれませんが、選手のパフォーマンスを最大に引き出すことが監督の務めだとしたら、吉田監督のやり方もいいなあと思ったわけです。
子育てや、会社での人材育成にも参考になるそんなエピソードでした。
ハンセン病問題を知る
厚生労働省が発行している『ハンセン病の向こう側』という小冊子を読んだ。
ハンセン病。名前は聞いたことがあるけれど詳しくは知りませんでした。
ハンセン病とは - はてなキーワードから一部引用すると、
らい菌(Mycobacterium leprae)によって起こる慢性の細菌感染症。かつては「ライ病」と呼ばれていたが、古くからの偏見に結びついた呼称であるため、菌を発見したハンセン氏にちなんで「ハンセン病」と呼ばれるようになった。
体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になるのが特徴。特にその外見から、患者やその家族は差別の対象となり続けた。
患者は、警察によって強制的に連行され、療養所に収容された。しかし、そこではろくな治療は行われず、患者同士での看護・作業など病人扱いされなかった。また、結婚の条件として非合法な断種・堕胎なども行われた。
とある。
現在の日本では、「らい菌」に感染したとしても、ハンセン病になることはほとんど無いという。
ハンセン病の偏見・差別問題は現在も進行中
ハンセン病問題は、「らい予防法」による国の誤った隔離政策が廃止され、20年以上たった今も、ハンセン病に対する偏見や差別が残っていると多くの入所者や社会復帰者が感じている。まさに現在進行中の人権問題となっている。
この小冊子には、どのようなひどい差別が行われてきたのかが掲載されている。僕が衝撃を受けたいくつかの事例を紹介したいと思います。
患者を強制的に収容し、療養所から一生出られなくする
明治後期から昭和前期にかけて、「ハンセン病絶滅政策」という政策が行われていた。
この政策によって、偏見や差別が一層助長された。
実名を名乗ることもままならない
やっとのことで1996年に「らい予防法」が廃止された後も、偏見や差別は世間から消えることは無く、療養所を退所しても家族に迷惑がかかるという思いから本名や戸籍、故郷を捨てた人もいる。
また、療養所の外は安心できないと不安もあったということからも、差別の凄まじさを知ることが出来る。
たくさんの人が亡くなった、零下20度にもなる監禁所
この小冊子で、療養所の実態を知ることも出来る。
長いですが、画像の文字は読みづらいかもしれませんので引用します。
国はハンセン病患者に対し、強制隔離しただけではありません。収容した療養所では、重傷者の看護、眼や手足の不自由な人の介護、そして食事運搬や土木・木工、さらには亡くなった寮友の火葬までも、入所者に強制的にやらせたのです。
また、療養所内での結婚の条件として子供が産めない手術を強制されたりしました。
さらに、こうした措置に不満をもらせば、次々と療養所内の監禁所に入れられました。栗生楽泉園には全国のハンセン病患者を対象とした「特別病室」という名の重監房があり、零下20度にもなる極寒の環境下で食事もろくに与えられず、たくさんの人が亡くなったのです。
療養所はなぜ交通が不便なところに設置されていたのか
以上、厚生労働省が発行している小冊子より、僕が衝撃を受けた箇所をほんの一部ですがご覧頂きました。
人に伝染ることもなく、感染しても発症することはまれ。早期発見と適切な治療で、後遺症を残さずに治すことが出来る。
なのに、外見が「普通と違う」ということで、今でも偏見・差別は続いている。
ハンセン病に限らず、伝染病であったとしてもなかったとしても、外見が普通であっても普通でなくても、差別は当然良くないということを再認識させてくれます。
ハンセン病について知る事ができ、理解が深まったことはとても意味のあることになりました。
今回紹介させていただいた厚生労働省発行の小冊子ですが、WEB版を見つけることができましたのでこちらに貼っておきます。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/dl/h0131-5i.pdf
空気感とやら
最近疲れ気味。
睡眠時間は取れているし食欲も普通にある。
けれど、頭がボーッとしたり体がだるい。やる気がでない。
花粉症かも。とりあえず花粉の所為にしておこう。
つい先日、スタンフォード監獄実験について触れられた本を読んだ。
スタンフォード監獄実験の詳細は省きますが、その場を支配する空気感って恐ろしい。
ということを考えていた時、うちの子が使っている歴史の教科書を何気なくパラパラとめくっていたら、第二次世界大戦時における日本の状況が書かれたページで手が止まった。
これがそのページの一部です。
また、
この戦争は、「正しい戦争」という洗脳がマスメディアによって行われていた。その背景には、政府の言論統制があった。
国民の戦意を高めるために、戦争と結びつけた映画や歌謡曲も多く作られた。
「月月火水木金金」「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてし止まむ」「鬼畜米英」などの流行語も作られた。
こうして戦意が高められていった。
(一部抜粋)
といったことも書かれていた。
戦意が高められていった。つまりは日本国内にそういう空気感が形成されていったというわけだ。
戦争に関する記述はまだまだ続きます。
さらに衝撃的な記載がありました。
そんなことある!?目を疑いましたが教科書にはそう書かれている。
それがこの部分。
沖縄の多くの住民が日本軍によって、食料をうばわれたり、砲弾のふり注ぐなか、安全な壕を追い出されて犠牲になった。
日本国民を守るための日本軍が、日本国民を犠牲にしてまで日本のために戦う?ああわからない。わからない。
そして、次の衝撃。
『 戦闘要員だった沖縄県民』
少年や高齢者までもが戦闘要員にされた。
御国のためならわが子を差し出せる空気感!?
そして、御国のために命を落とした多くの女学生たち。
この、ひめゆり学徒隊は志願した者の集まりだ、という話もありますが、はたして断れる空気や冷静に考えることが出来る状況にあったのかが気になります。なかったでしょうよ。
負傷して困っている日本兵の力になりたいと思い志願した人たちを否定するつもりはもちろんないです。
沖縄に行ったことはないのですが、行く機会と時間があれば、ひめゆり平和祈念資料館は訪れたい。
押し寄せる大軍
1945年4月1日の沖縄の写真。率直に言って、怖い。
これが当時実際にあった戦争。
これが「正しい戦争」の行末。
戦争を知らない世代という言葉がありますが、およそ100年周期で戦争は行われる傾向があると聞いたことがあります。戦争が終わりだいたい100年も経てば戦争の恐ろしさを知っている戦争経験者がいなくなるためだとか。
今だって、一部の人を除き、だれも戦争したいと思っていないでしょう。
しかし、その一部の人たちが戦意を高めるような空気感を作っていってるかもしれない。わからないように少しずつ少しずつ。多くの国民がそれに同調していく(スタンフォード監獄実験で普段は平和的だった人たちが豹変したように)。だとしたら怖いですが、そうならないことを信じたい。
2月に見た8作のamazonプライムビデオ (2017年2月)
さてみなさん、CMでもおなじみのamazonプライムビデオの30日間無料体験をしてみました。
今年に入っていろんな偶然が重なり、1月はauビデオパスの無料体験、2月はamazonプライムの無料体験と立て続けに映画を見ました。
amazonプライムビデオでは以下の映画を見ました。
- CURE
- 白百合クラブ東京へ行く
- プレシャス
浅い主観ですので取り立てて言うほどのことではありませんが、簡単に一言レビューをしておきます。
『CURE』
CUREには、色々な意味がありますが、この映画では「癒やす」という意味がピッタリ来ると思いました。
沖縄を舞台にした映画は数多くありますが、中江裕司監督のものがお気に入りです。
「ナビィの恋」でもそうですが、特に女性が自由奔放にイキイキと描かれていることで男も女も人生は楽しんだもの勝ち、という前向きな気持にさせられます。
ずーっとコメディタッチで話が進んでいくんですが、最後の最後に恐ろしい終わり方をする話。ほんと悪夢でした。
『白百合クラブ 東京へ行く』
こちらも中江裕司監督作品。個性あふれる楽団員たち。楽器の演奏や歌、踊りに楽団員たちそれぞれの歴史が感じられます。演奏シーンも多く見どころ盛りだくさんでした。
『ケープタウン』
製薬会社が開発した新しい麻薬の人体実験に子どもたちが利用される。
真実を追求しようとしない警察組織、マフィア、表向きはクリーンなイメージで事業展開している製薬会社、悪をさばくのは……
『カラスの親指』
全てを覆すどんでん返しがおもしろい、詐欺師たちの大勝負。
どこまでが計画通りなのか、あるいは計画外だったのか見ている方もまんまと騙されます。「スティング」を思い出した。
たしか、ネットラジオ「もてラジ」でおすすめされていた作品だったと思います。おすすめされていた理由がよく分かります。
子ども向けの映画ではあるものの、大人が見ていろんな事に気付かされる映画でもあり、高畑監督や宮﨑駿さんはじめ、制作者の思いがものすごく伝わってきました。
『プレシャス』
舞台は1987年ハーレム。クレアリース“プレシャス”ジョーンズは、16歳にして父親の子供を身ごもり、母親にこき使われ、文字の読み書きもできない。「プレシャス=貴い」という名前とはかけはなれた毎日。そんな中、学校を退学させられたプレシャスは、フリースクールに通い始める。そこである教師と出会い、人生に目覚め、「学ぶ喜び」、「人を愛し、愛される喜び」を知る。それは、今までに考えたこともないことだった。果たして彼女が選んだ道とは・・・?
映画の紹介文を読んで、これは見るしかないと思い視聴。
人生をあきらめ、娘をも巻き込み自暴自棄になったような母親。
レイプにより、父との二人目の子を身ごもりながらも自立して生きていく力をつけようと少しずつ閉ざされていた心を開き勉強を始め社会との関わりをもとうと頑張るその娘、プレシャス。
簡単には言葉に出来ないが、すごく心に残る映画でした。
以上、amazonプライムビデオの無料期間を利用して視聴した映画たちでした。
ヱビスビールにまつわるエトセトラ
さてみなさん、ビールはあまり飲まない僕ですが、東京は恵比寿にあるヱビスビール記念館に行ってきました。
▲平日の昼下がりということで、来客者はあまりいない
▲エントランスホール
▲えべっさんが迎えてくれます
いざ、展示フロアへ
ヱビスビール記念館でどういったことをするのかと言いますと、
■ヱビスツアー(有料)
という内容。ガイドさんがあれこれ説明してくれます。
詳しくは、こちら▼
ヱビスビール記念館 | 工場見学とミュージアム | サッポロビール
それでは、ヱビスビール記念館の魅力をほんの一部ですが、ご紹介したいと思います。
▲初代ヱビスビール<1890(明治23)年>
注目すべきはビンの上部。コルク栓になっています。
なぜコルクか。もちろん王冠がまだ発明されていなかったこともありますが、当時はビンも一本一本手作業で作られていました。それぞれのビンの口の大きさが少しずつ違うこともあり、コルクを使っていたそうです。なるほど。
▲王冠の登場
王冠に付いている栓抜きのためのギザギザの数ってご存知ですか。
聞くところによると、世界共通で21個らしいです。三点で固定すると強度が高いので3の倍数である21個となったそうです。
▲駅名、地名になったビール「ヱビス」
東京の恵比寿地区は、もともと別の地名があったそうですが、駅を創設する際に「恵比寿停車場駅」と命名され、そののち、地名も恵比寿になったそうです。ビールが先だったんですね。愛知県の豊田市みたいなもんか。
▲▼施設内の展示物
▲日本初のビヤホール
8月4日はビヤホールの日らしい。
この恵比寿ビヤホールがオープンした日が8月4日ですって。
▲ラッキーヱビス
ヱビス瓶ビールにはこのようなレアなえべっさんがプリントされているものもあるそうです。
鯛を両脇に抱えています。
▲▼漫画も展示されていました
ヱビスビール頂きました
このガイドツアーにはヱビスビールがグラスで2杯付いてきます。アルコールが飲めない方には別の飲料が用意されています。
ヱビスビールの歴史やこだわりを聞いた上で飲むヱビスビールです。どう考えても通常の倍は美味しいはず。ビールをあまり飲まない僕ですらワクワクします。
フロスティミストとレーシング
▲ビールは三層からできている!
ゴクッと飲んでグラスを見るとビールが三層になっているのがわかりますか。
①泡の部分、②泡の下の細かい泡の部分、③その下のビールの部分
②の部分のことをフロスティミストといい、このフロスティミストが美味しさの秘密であり、これを意識して飲むのが美味しい飲み方らしいです。
▲そして、これがレーシング!
ガイドさんから、飲み終わったグラスを見てください、と言われます。
泡が輪っかのようになっています。これがレーシングと言われるもので、綺麗に洗浄されたグラス、きめ細かな泡の上質なビールの証らしいです。
何口で飲んだかもわかるほどの綺麗な輪っか。お店でビールを飲んだ後チェックしてみるのも今後の楽しみになりそうです。
ビールの黄金比
▲ガイドさんが注いだ缶のヱビスビール
グラスを揺らしても泡がこぼれ落ちません。
こちらの、缶から注いだヱビスビールがスッと飲めて一番美味しかった。
美味しいビールの注ぎ方講座。
http://www.sapporobeer.jp/yebisu/enjoy/より
すぐに飲みたい気持ちをグッと堪え、余裕があればこの図のように注ぐと美味しさを一層引き出せます。
泡3:ビール7 がビールと泡の黄金比といわれているそうです。
そして、このヱビスのグラス、えべっさんが描かれていますよね。
えべっさんがちょうどビールの海にプカプカ浮いているように注ぐと泡3:ビール7 になるように作られているそうです。あるいは泡の雲に浮かぶえべっさん。グラスにもこだわりがあったんですね。
以上、ほんの一部でしたがヱビスビール記念館に行ってみてよかったというお話でした。
メモを持っていったほうがいいかも。それぐらい盛り沢山な内容でした。
友だちと行っても良し、恋人と行っても良し、夫婦で行っても良し。
グッとビールに興味が湧いてきました。ビール用グラスも買ってしまった。
教わったうんちくを並べ立てましたが、まあ好きに飲むよろし。
すっかりヱビスビールの曲として定着したこのメロディ。
恵比寿駅のホームで流れていました。
お酒は二十歳になってから。
今週のお題「何して遊んだ?」
代官山でなんぞしてきた
さてみなさん、今週のお題「何して遊んだ?」ということですが、グッドタイミングなお題。仕事も兼ねて一泊二日で東京に行ってきました。
ロッテリアのガーナホットチョコレート
朝5時半起きでまずは集合場所の新大阪へ。
時刻は8時前。少し早く付いたので新大阪駅にあるロッテリアへ。ロッテとロッテリアのコラボ、ガーナホットチョコレートを頂きました。
単なるココアかなと思っていたんですが、飲んでみてビックリ。本当にチョコレートを溶かしただけかのような濃さ。ドロッとしています。水もセットで付けといてもらいたいぐらいでした。
この日は2月14日。ヴァレンタインの日にはもってこいの商品でした。
一日目の夜(両国~秋葉原~両国)
両国での仕事が終わり、立食パーティ。瓶ビール(黒ラベル!)や焼酎、ワイン等が飲み放題、お寿司なども食べ放題。こんな催しがあるとは聞いていなかったのでラッキー!
両国ということでスカイツリーが目の前に。ソラマチは何度か訪れてはいるものの写真に収めてしまいます。
黄昏時の東京。
そして、仲間と連れ立って秋葉原へ。時刻は20時頃。電気街はどんどん店が閉まっていきます。友人が探していたお目当ての商品が見つからず再びホテルのある両国へ。
キン肉マンのフィギュアがあったので思わずパシャリ。
両国で再び宴会。今回も磯丸水産さんへ。
大阪にもあるんですが、東京に行ってもなぜかいつもここ。三ヶ日みかんサワーがおいしい。沖縄パイナップルサワーもおすすめ。食べ物もおいしいのでどんどん酒が進みます。
3次会も両国。
ラーメン屋を探し見つけたのがここ。
メニューが豊富だったのが印象的でした。
花月嵐ラーメン(味噌)を注文しました。
それよりも、関西人にはあまり馴染みのないホッピーを初めて見ました。
焼酎にホッピーを継ぎ足しながら飲んでいくスタイル。楽しい。
ホテルに戻ったのが午前1時。風呂入ってアイス食って就寝。
二日目(恵比寿・代官山)
二日目は仕事は休み。完全フリー。
takuoさん(id:e-eiga)の記事で気になっていた、うぐいす餡がたっぷり入ったメロンパンが買える「あんですMATOBA」さんに行こうと思っていたのですが、団体行動で恵比寿へ行くことになり浅草に立ち寄れず。浅草はこれからも行く機会があると思うのでまた今度。
(▼こちらがその記事です)
浅草にお守りを返しに行った。の巻。 - タクドラtakuoの雑念 はてブロ
7人でぞろぞろと恵比寿へ。
JR恵比寿駅にあった、ドラゴンボールのスタンプラリー。恵比寿は天津飯でした。
よく見ると天津飯は、三つ目人(宇宙人)と書いてあります。
宇宙人という設定だったのか。
恵比寿なので、ゑびす像があります。
そういえば大阪には恵美須町というところがあるけど字が違う。
東京の恵比寿は「ゑびす」(YEBISU)、大阪の恵美須は「えびす」(EBISU)なのかな。
スプリングバレーブルワリー東京
おしゃれなイメージしかない、あこがれの地、恵比寿そして代官山。
街を走る自転車がすでにおしゃれ。ママチャリを探しだすのが難しい。
そして、代官山といえばカフェ!
ベタですが。
LOG ROADにある、「スプリングバレーブルワリー東京 (SPRING VALLEY BREWERY TOKYO)」でブルジョアタイム。
ここはクラフトビールが有名らしいのですが、一度飲んでみたかったフルーツスムージーを注文。
▼スプリングバレーブルワリー東京 紹介サイト
恵比寿
初めて来ましたがやっぱりおしゃれ。
名前ぐらいは聞いたことがある、恵比寿ガーデンシネマもありました。
だが、恵比寿までやってきた本当の目的は、ヱビスビール記念館!
長くなりましたので、今回はここまで。
次回はヱビスビールの魅力!?をお伝えしたいと思います。
それにしても、また東京ゲーテ記念館に行けなかった。
次は下北沢にも行ってみたいなあ。
おまけ
東京に行くと必ず頭の中に流れる曲
【東京観光】 屋形船で隅田川、東京湾クルージング! - 朱い夏
【東京観光】 上野巡り。ゴッホとゴーギャンに魅せられて - 朱い夏
以上です、編集長。